こんにちは!K-106オフィシャルカメラマンの寺川昌宏です!
初K-106ブログ執筆!!
リーダーヒロキさんから
『マサヒロなんか書いてーや!』
というまたもファンキーなお誘いから、まぁバンドのブログなどの表舞台には殆ど出てくることがないであろうカメラマン。ゆえにこの記事は珍しく貴重な裏方存在であるフォトグラファーのブログがスタートしました。
さて、僕は長年、もうかれこれ10年近く、僕はK-106のライブ写真を撮影しています。
今やSNSで、Facebookやインスタグラムでバンドの写真、ライブやイベントの事後報告のようなカメラマンが撮影した良い感じのバンドのライブ写真を見かけることも増えたけれども、僕がK-106のバンドのカメラマンとして就任させていただいた、当時2011年のSNSやスマートフォンの状況といえば
まだほとんどの人たちがSNSやスマートフォンを今より生活必需品のようにはまだ使っておらず、写真の重要性というものが現在ほど期待されているものではなかった。
そんな中、当時のK-106の洞察力やバンドが持つ柔軟性というものは凄いもので
『SNSにアップする写真が必要だからカメラマンが必要』
といった現代的なマーケティング観点ではなく
当時の僕の写真、ライブやバンドの写真ではなく、僕が世界中を旅しながら撮った人物写真の作品を見て
『こいつは何か面白い奴だ』
と、ライブハウス神戸108で行われているK-106の主催ライブ、Kのるつぼのライブイベントを撮影するカメラマンとしての活動がはじまった。
(K-106リーダーヒロキさんが気にいってくれたアメリカ、ニューオリンズで撮影した写真)
不思議と彼らは当時の2011年から、もちろん音楽バンドなので、音楽を演奏することが本職の人たちなんだけども、写真や映像、絵やダンス、アニメーションから食べ物や和楽器まで、自分たちの音楽要素以外の全く異なる世界のアーティストの作品に非常に過敏かつ広い視野を持っている人たちだった(今も)
きっとそういった感性や嗅覚がK-106というオリジナリティを形成しているのだと僕は感じる。
2011年当初からK-106のライブを撮影する度に、ライブの写真をSNSで発信していった。
常に新しい撮れたてのライブ写真がライブ終了後にSNSで発信される。特に僕が意識したのは納期と公開スピード、またそれを実現する為の撮影後から編集とセレクトのスピードの向上。
特にライブ写真はカメラマンにとっては瞬間を摑まえる撮影
またはその日を振り返る記録写真なので、アー写や他の撮影に比べて写真の鮮度がかなり重要となる。
例えば昨夜行ったライブの写真がSNSなりオフィシャルウェブサイトでアップされていたら観たい気にはなるけれども、お客さん自身がライブに行ってから1週間経ったライブ写真を果たして見たいと思うだろうか?
ライブの写真は、報道写真であるべきだと勉強になったのがSNSの存在。
SNSで発信できるものは、テキスト(文章)と写真・映像、ベーシックな部分はこの3つ。
性質上、リアルタイムに個人や企業の告知を”速報として”知れる性格をSNSは持っている。
なるべくライブハウスに遊びにきてくれたお客さんやファンの方々にいち早く楽しんでいただきたい。
そしてその日のライブの写真が良ければ、音楽やライブ、生演奏の楽しさも倍増するのであれば、バンドや写真の楽しさも上がってくる。
こうしてカメラマンの僕の自己判断で取り組んでいる舞台裏のライブ写真撮影をK-106は容認してくださった寛大さがあるし、その懐の深さが、音楽から伝達的にも動いているカメラマンや写真への柔軟性として上手く機能しているのだと思う。
その柔軟性があってか、2011年の時点で、常にSNS上ではライブ後の新しい写真をバンドの”速報”として発信して多くの人たちに楽しんでいただけることに日本でSNSムーブメントが訪れる前から継続して行うことに繋がり、結果的にオンライン上でライブの一面を写真で見ていただいたり、近年かなり重要視されてきている
『SNS写真、インスタ映え、SNS映え』
を僕が知る限りでは、どれだけ小さなイベントから大きなイベントまで、先取りして常に発信し続けれている、バンドマン本来のライブハウスでのメインの活動とはまた違う、オンラインでの活動の先駆けバンドだと感じます。
しかしのところ、僕にもK-106にもSNSにアップする為にライブをしていたわけでも、写真を撮ってきたわけではありません。
あくまで1つのチームとして、1つのライブをしっかり実現するK-106が持つバンドのライブに対するスタンスが自然と写真と連動しただけであり、彼らの視野の広さや柔軟性が
K-106 Live photography
というひとつのコンテンツの形成に繋がっていったのは間違いありません。
そして音楽活動における写真の重要性、あるいは音楽カメラマンのアーティスト化、個人活動としての自立化にK-106が関西の音楽シーンにおいて、深い懐で見守っていただいている、あるいは自分たちで作って生まれた音楽以外の自然な恩恵を、神戸から自由に誰にでも対応できる流動性を持つのは
やはり20年間ひとつのバンドと音楽を続けることによって育まれた愛なのかなと思います。
良いライブや良い音楽は、時代の変化や発信ツールの形は変わるかもしれないけど、自然と良いものは広がって、多くの人たちに愛されてゆくものだと思います。
さて、次回は僕がK-106のライブ写真を撮影するにあたって、欠かせないひとつの存在について書かせていただければと思います。
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