先日、神戸にて出演したカッサアルモニカでのK-106のライブが神戸新聞に掲載されました
K-106のバンド名と共に演奏内容を記事にしていただいています
以下、神戸新聞より抜粋
東遊園地南端に設置されたステージに「K-106」が上がり、演奏を始めた。ファンクバンドとの紹介だったが、不意を突かれた。柔らかな旋律と耳を傾ける会場の様子に胸が満ちた。この場所への敬意を感じた。明るく落ち着いた旋律の中に、28年の時間の厚みを忘れさせつつ確かめさせるような、透明度のある哀(かな)しさが織り込まれていた。
軽妙な曲に移ると、人々は静かに体を揺らし始めた。会場は人がひしめき合うほどではなく、程よい空間があった。親子連れや若いカップルや高校生がいて、つえをついた年配の人の姿も見えた。数カ所に立てかけられた電飾と、自然に集まった人々と、バンドの演奏のほかは何もなかった。それが心地よかった。
過剰なメッセージやシンボルが押し付けられることもなく、儀式的な振る舞いも求められていなかった。光と音と12月の冷たい空気、そしてそれぞれの思いを持った市民がそこにいるというだけのことだった。こうした空間は何年ぶりだろう。あの静かな原点が取り戻されていると感じた。良い音楽があるからこそ静かだった。この無理のない充実感はまた、コロナ禍で奪われていたものでもあった。
高原耕平・人と防災未来センター主任研究員
軽妙な曲に移ると、人々は静かに体を揺らし始めた。会場は人がひしめき合うほどではなく、程よい空間があった。親子連れや若いカップルや高校生がいて、つえをついた年配の人の姿も見えた。数カ所に立てかけられた電飾と、自然に集まった人々と、バンドの演奏のほかは何もなかった。それが心地よかった。
過剰なメッセージやシンボルが押し付けられることもなく、儀式的な振る舞いも求められていなかった。光と音と12月の冷たい空気、そしてそれぞれの思いを持った市民がそこにいるというだけのことだった。こうした空間は何年ぶりだろう。あの静かな原点が取り戻されていると感じた。良い音楽があるからこそ静かだった。この無理のない充実感はまた、コロナ禍で奪われていたものでもあった。
高原耕平・人と防災未来センター主任研究員
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ルミナリエ代替行事 旋律に満ちた胸、静かな追悼の原点に
神戸新聞より
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